「幸福の科学」大川隆法氏の長男・宏洋氏に聞く① 秘書監視の“英才教育”で無感情だった幼少期

安倍晋三元首相銃撃事件で山上徹也被告に無期懲役の判決が下り、改めて「宗教」がクローズアップされている。内外タイムス編集部は「幸福の科学」の故・大川隆法名誉総裁の長男として生まれ、2017年に教団を離れてからは映画監督や飲食店経営など実業家としても活動している宏洋氏(36)にインタビュー。徹底した管理教育を受けた幼少期から自由を知った青春時代、教団を離れることになった理由、今後の目標などを聞いた。全2回の1回目をお届けする。

―どんな幼少期を過ごされたんでしょうか?

宏洋 毎日、スケジュールが壁に張り出されて朝7時から夜の10時くらいまで分刻みで全部決められてました。朝食が8時から9時、算数の勉強が9時から10時、英語の勉強が10時から11時とか、そういう感じで3歳頃から小学校6年生くらいまでずっと続きましたね。

―しんどいなとか、もっと遊びたいな、とかいうお気持ちもあったと思うんですけど、振り返っていかがですか?

宏洋 気持ちとかはないんです。決められたことをこなすだけなので、それ以上でも以下でもない。何をしたいとか、何が好きとか、将来どうしたいとか、一度も聞かれたことがないので、ただ決められたことをやらされているだけという形ですね。

―そもそもお父様がそういう宗教家であるということは、いつぐらいから認識されたんですか?

宏洋 3歳くらいから、物心がついた頃からです。当時は東京ドームで講演会などをしていたので、そこに連れて行かれて自然と認識しました。

―その頃はいずれ後継ぎにというような意識もあったんですか?

宏洋 意識というか、そう言われていたので。

―その頃の楽しみは何かあったんですか?

宏洋 何もないですね。学校にいる時とか、塾の休憩時間とかは同世代の子たちと話せるし、監視の目もないので多少マシでしたけど、同世代の子たちと共通の話題が全然なかったので話すのは大変でした。当時ポケモンやクレヨンしんちゃんが流行っていたんですが、テレビも漫画も全部禁止されていたので何の話をしているのか全く分からなくて。

―テレビを見せてほしいと言ったことはなかったんですか?

宏洋 ないですね。自分の意思は基本何もないので。感情がないですね。話についていけなきゃ困るなぁというのはありましたけど、何を言っても無駄だというのは分かっていたので。

―テレビを見ること自体が全くなかったんですか?

宏洋 歴史の特番とか、週刊こどもニュースとか、教育番組みたいなのは録画して見せてもらえました。ご飯を食べる時に流れてるみたいな感じです。

―数少ない楽しみだったんですか?

宏洋 別に楽しみではなかったです。ただ流れているだけで特に感情はないです。

―5人きょうだいのご長男ということですが、ごきょうだい同じような環境で育てられたわけですよね?

宏洋 弟や妹たちのスケジュールは今ひとつ分からないというか、私と一緒でスケジュールを張り出されていましたが、直接喋ることがあまりなく、部屋も別なので関わりがあまりなかったです。食事時になるとみんな決まった席で決まった時間にご飯を食べに来ますけど、特に会話することもないですし。

―きょうだい間で話すことは禁止されていたんですか?

宏洋 禁止はされてないですが、用事がないですし、食事をするときくらいしか顔を合わせることがないので喋ることがない、という感じですね。

―他の弟さんや妹さん同士も同じなんですか?

宏洋 そうですね。それぞれ担当の秘書が1人ずつついていて、スケジュールを全部管理しているので喋ることもないですね。

―お父さんから直接怒られたりとか褒められたりっていうことはあったんですか?

宏洋 テストの点数が良かったら褒められるし、悪かったら怒られました。小学校に上がる前くらいから、中学入試の志望校を開成、筑駒(筑波大附属駒場中)などと書いて、全国模試の成績によって張り替えるんです。東大法学部に現役合格できるところにラインナップを揃えられました。

―それが励みになったり、逆に反発したりとかはなかったんですか?

宏洋 何もないです。無感情です。なんか騒いでるなという感じでした。

―秘書の方から怒られることもあるんですか?

宏洋 もちろんあります。成績が悪かったりとか、言ってはいけない発言をすると怒られました。秘書の担当者も30人くらい代わったのかな、評判が悪くなるとクビになるし、彼らも生活がかかっていますからね。

幼少期を振り返る宏洋氏(撮影・内外タイムス)

―その後、進学されましたが、青春時代を謳歌するようなことはあったんでしょうか?

宏洋 中学校に入ってからは電車通学になったので、小学校の頃に比べたら自由は増えました。小学校の頃は車で送り迎えされ、学校が終わったら校門のところに車が待っていて塾に直行してました。友達と遊ぶのも禁止されていたし、塾と学校以外の外出は全部禁止でした。中学になると電車通学になって、授業が3時くらいに終わって塾が始まる5時まで2時間くらいあるんですね。その間にゲーセンに行ったり、学校のグラウンドでサッカーしたりとかはありました。

―中学から少し自由が増えたんですね。

宏洋 そうですね。高校は一度中退しているんですけど、2回目に入ってからはかなり自由でした。最初に入った高校が早大学院だったんですけど、早稲田の附属校に行けたので一応大学生になれるんだなと思っていたんですが、1年で辞めてしまったんです。その後、入り直したのが青山学院だったのですが、家から追い出されたので、自宅から歩いて3分くらいの所にある職員の独身寮の六畳一間の部屋に住むことになりました。2回目の高校1年生になってから禁止されていたテレビも買ったし、外に出るのも自由になりました。

―初めてテレビを見た時の感動って覚えてますか?

宏洋 感動というか、これがみんな話しているやつだったんだみたいな。テレビ番組の話もよくするんで、みんな見てたのはこれなんだ、なるほどねーという感じです。

―高校卒業後、教団に入られた経緯は?

宏洋 高3の夏頃に両親が離婚するという話になりまして、長男の私が当時18歳で一番下の妹がまだ9歳とかでしたけど、離婚したらどっちについていくか、きょうだい5人で会議をして、全会一致で隆法についていくことになったんです。父母どちらにも思い入れはなかったんですが、私も大学進学を控えていましたし、下の弟も受験前とかだったので、母親についていったら学校に行けなくなる可能性があるから困るねってなりました。それで流れ上、母親がやっていた副総裁を代わりにやるような形になっていったんです。その中で、映画製作がうまくいってないからなんとかしてくれという話があって、映画製作をするようになりました。

―その後、一度退職されたのは?

宏洋 『仏陀再誕』という映画を作って、そこそこうまくいったんです。大学に行きながらだったんですけど、2本目の製作に取り掛かり、2012年5月に公開予定という話で進めていたんですが、脚本を書き終わってキャスティングも終わって、いざ撮影という時に突然、隆法から宏洋には悪霊がついてるからプロジェクトから外しますと言われました。現場は大混乱ですよ。まあ今振り返ると、隆法がそう言った理由は分かるというか、あの時こういう心づもりだったんだなっていうのがなんとなくは分かる部分はあるんですけど。

当時、理事長みたいなことをやらされたんですけど、決済処理とかが回ってくるわけです。どこどこの山を買おうと思ってます、この案件に対しての判断をお願いします、みたいなことを言われても全然分からないし、お飾りだよねっていう話です。そこで隆法に新入職員としてビジネスマナーとか基礎訓練から学ばせてほしいと言ったんですが、いやそれはダメだと。お前は総裁の息子なんだから偉くなきゃいけないんだと言われ、人間として腐ってしまうと思ったので、辞めますと言ってバックレました。

(つづく)

《プロフィール》
宏洋(ひろし) 1989年2月24日、大川隆法氏の長男として生まれ、幼児期から徹底した管理教育を受ける。青山学院大学在学中に「幸福の科学」職員となったが、2017年に退職後は俳優、映画監督として活動。現在は東京都大田区に拠点を移し活動中。東京・赤坂と蒲田で飲食店を2店舗経営している。

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