花粉症の季節に思う日本人の“軍アレルギー”、戦後の国民意識に刷り込まれた「自衛隊=軍=悪」
花粉症の季節。正式には「季節性アレルギー性鼻炎」というそうだ。
防衛問題を考えてみると、日本人の多くが、別種のアレルギー症にかかっていることがわかる。「軍アレルギー」と「核アレルギー」だ。
これらは口にしただけで袋叩き、全く議論もなしにレッテルを貼られ、マスメディアが騒ぎ、中国からはすぐに反応がある。こんなことで良いのだろうか。少し考えてみたい。
米国による軍事占領下の政策
元はといえば、第2次世界大戦で我が国が敗戦し、連合国という看板を掲げた米国による軍事占領下の政策に原因がある。
占領政策の主眼は、武装解除、軍隊(大日本帝国陸軍及び海軍、以下旧軍という)解体と、将来にわたって米国に対抗する武力・軍事力を絶対持たせないというものだった。
ある意味当然だろう。極東軍事裁判で軍指導部をはじめ多数を処刑、断罪した。そのほかにも様々な仕掛けを施している。これらはWGIP (War Guilt Information Program)と呼ばれ、「軍国主義国家日本が侵略戦争を行った、戦争責任は日本、特に軍部にある」というレッテルを貼り、国民の意識に刷り込みを図ったのだ。
それを明文化したものが日本国憲法。憲法も改正が極めて難しいような仕組みになっている。これらは軍事占領下で実施されたもので、ほかにも社会構造、教育など、表・裏、適法・グレー等、様々な仕掛けがなされた。
この占領政策は日本国全てに網羅されているが、ここでは国防問題に絞って考えてみよう。
なぜ我が国では軍ではなく「自衛隊」なのか
洋の東西、先進国・発展途上国を問わず、ある程度の規模を持つ国家は「軍」を持っている。国家の機能の最も基本的なこと、国民の安全を守るための組織が「軍」なのだ。主要国で軍を持っていないのは日本だけ。日本は明確な軍ではなく、自衛隊として持っている。
ことあるごとに我が国に対し、軍国主義化と言って騒ぎ立てる中華人民共和国も、国家の軍隊ではないが、人民解放軍(People’s Liberation Army略してPLA)という共産党の軍隊を持っている。マスメディアが中国軍と呼称するが、正確には、国軍ではない。
米国を中心とする連合国軍最高司令部(GHQ)は当初日本の完全非武装化を図ったと思われる。このため、日本国憲法に第9条を設けた。しかし、1950年に生起した朝鮮戦争に米国の戦力を振り向ける必要が生じ、日本の防衛のためとして「警察予備隊」を発足させた。その名の通り、警察では手に負えない事態への対処のためだ。
その後、「自衛隊」として改編。憲法条文と、絶対必要な国家防衛、それらの上位にある占領軍の意向などを踏まえた結果、苦肉の策として誕生したのが、世界的に稀な「自衛隊」という組織だ。
軍隊と自衛隊と何が違うのか
自衛隊は創立以来75年が経過しようとしている。今や、まさに旧軍の歴史を越えようとするものだ。
国軍はそれぞれの国により特色がある。共通事項といえば、国の統制下に武装された組織で、制服で明確に弁別され、国防、治安維持その他を任務とする。通常は一般法とは別の法律と法廷を持つ。
軍は国に一朝ことある時、危険をも顧みず生命を賭して国民を外敵等から守るという、崇高な志を持って、日頃から教育・訓練に勤しむ集団だ。このため、国民からは尊崇の念を持って扱われるのが国軍と言える。
では、自衛隊は一般的な「軍」とどう違うのか。主な点を以下に列記した。
・国の基本法である憲法での位置付けが明確ではなく、憲法の条文は文章的には「戦力」を持たないと読める。少なくとも自衛隊は国軍と位置付けられていない。
・「軍」は戦争という異常事態での行動が本来の任務であるため、特別な法と裁判所を持つ。我が国は憲法の規定(76条)により特別な法廷を持てない。
・シビリアンコントロールとは本来、政治が軍事に優先し、統制するという意味だが、我が国は政治と自衛隊という武装組織との間に「内部部局(以下、内局という)」という組織が存在し、文官統制という意味になっている。各国の軍人にあたる自衛官が国会答弁等、政治の前面に出ることはない。言い換えれば、自衛官を直に検証できないということだ。
「軍」アレルギーの問題点
警察予備隊として誕生し、保安隊、自衛隊と名称が変わり、逐次、組織、装備、人員等を充実させ、我が国の防衛を担ってきて、今日の自衛隊がある。警察予備隊と保安隊はどちらも約2年で改編されて自衛隊となった。
敗戦で頭の中が真っ白になった日本国民に対して、米国により戦争責任は「軍」にあるということが刷り込まれた。すなわち「軍」=「悪」の認識と言える。自衛隊は当時の日本国民には旧軍と同じものと認識された。すなわち「自衛隊」=「軍」だ。
結果として、「自衛隊」=「軍」=「悪」という認識がなされてしまった。以来、自衛隊は世間の厳しい目にさらされながら存在している。災害派遣等での貢献や不断の努力により、8割以上の日本国民に肯定的に認められる存在となるまで、約70年を要しているのが現実。今なお、自衛隊の存在を否定し、強い疑いの目を向ける勢力が存在している。
軍アレルギーで、「軍事」「自衛隊」などの問題は通常の国民生活からは遠ざけられる、関わらない、制服など見たくもない、といった状況が半世紀以上も続いた結果、軍に対する尊崇の念が一般的に国民の意識に希薄になっている。
戦前及び戦後のある時期までは、一般国民の家族・親族等、身近に軍隊経験者がおり、それなりに軍隊に対しての認識があるとともに、尊崇の念もあっただろう。
しかし、軍事に関する専門家である自衛官、退職自衛官と一般社会人が接する機会が少なく、特に国会議員をはじめ、社会のリーダー層に軍事的知見が備わっていないように思われる。
結果として、軍事は戦争という異常事態での行動を考えるが、幸運なことに我が国周辺では戦争や紛争がほとんど起こっていないため、戦争状態を想定したシミュレーションが国民レベルで真剣に議論されることがない。
「戦争」という言葉も「有事」と呼び替えている。いわゆる「有事」の法、規則などが、きちんと機能しない恐れが多分にある。
近年は、国連の安全保障理事会常任理事国であるロシアが隣国ウクライナに武力侵攻を行い、米国も武力による威嚇・恫喝などを臆することなく堂々と行うなど、世界の情勢は大きく変わろうとしている。
我が国もアレルギーはアレルギーとして自覚するとしても、それとは別の「命に関わる状態」への備えを真剣に考える時ではないだろうか。
文/島本順光 内外タイムス