山上徹也被告の無期懲役判決は旧統一教会に対する恨みがどこまで斟酌されたのか、裁判の疑問点を解説
安倍晋三元首相銃撃事件で殺人などの罪に問われた山上徹也被告が4日、求刑通り無期懲役とした判決に対して控訴した。
旧統一教会問題を強く世間に認識させることとなった山上被告の不遇な生い立ちや旧統一教会への恨みがどこまで情状として斟酌(しんしゃく)されたのか。
刑事裁判における基本的な「量刑」の考え方に立ち返って考えてみたい。
「量刑」に基準はあるのか
「量刑」は犯罪行為についての責任非難の程度に応じた刑を決めることであり、単に犯罪の客観的な結果の重大さに従うのではなく、「行為に至った意思決定」についての責任も含めて総合的に問うことになる。
「量刑」においては、実務上一定の「量刑相場」はあるが、同じ事件があるわけではないから、明確な基準はない。
ただし、殺人罪における死刑判決については、1983年に最高裁が示した永山基準(犯罪の性質、犯行の動機、殺害方法の残虐性などの犯行態様、犯行の計画性、結果の重大性、特に被害者数、遺族の被害感情、社会的影響、犯人の年齢、前科、犯行後の情状を総合して判断される)が参考になる。
そして、当然のことながら、これらを裏付ける事実の認定をしたうえで、認定した各事実を情状として評価していくことになる。
本件は裁判員裁判であるから、こうしたプロセスを経て、裁判員と裁判官が評議のうえ決めた量刑が無期懲役ということだ。
判決では、40代になる社会人であることや、社会生活の中で人を殺してはいけない社会規範を認識して思いとどまるチャンスが何度もあったこと、経済状況がひっ迫して襲撃の実行をこれ以上待てないなどという自身の都合を優先した自己中心的な意思決定過程を重視して、不遇な生い立ちを斟酌しなかった。
殺人に至った意思決定についての責任を論じるにあたり、不遇な生い立ちや旧統一教会に対する恨みがあっても、経緯や動機からするとその責任を軽減する方向で斟酌することはできないと判断したということだ。
被害者が総理大臣経験者だったことの影響
ここで気になるのが、被害者が元内閣総理大臣という「大物」であったことが量刑に影響したのかどうかだ。
判決では明確ではないものの、「公共の静穏や安全も大きく侵害された」とも指摘されており、被害者が総理大臣経験者であったこと、事件現場が選挙における街頭演説会場であったこと、事件後も大きく報道され続けたことは量刑に影響がなかったとはいえないだろう。
なお、本件では被害者に殺害を正当化できるような落ち度が見当たらないことも明記されており、こうした被害者側の事情もあいまって、総理大臣経験者であったことは多少なりとも量刑に影響したものと思われる。
私見であるが、不遇な生い立ちや旧統一教会への恨みが動機としてあるとはいえ、安倍元首相をターゲットとする直接的な事情とはいいがたい。また、多額の借金で経済的に行き詰まっていた事情などからするとやはり自己中心的な事情による意思決定と評価せざるを得ないから、不遇な生い立ちや旧統一教会への恨みを斟酌しなかったことは量刑において合理的な判断と思われる。
さて、第一審では裁判員裁判での判決であったが、控訴審である大阪高裁では裁判官のみで判断することになる。
改めて、不遇な生い立ちや旧統一教会への恨みが、殺人に至る山上被告の意思決定の責任を問うにあたり情状として斟酌されるべきどうか、弁護側の主張と大阪高裁の判断が注目される。
文/竹村公利 内外タイムス