アメリカ、占領初期の測量で尖閣諸島は沖縄の範囲と認識、借地料の支払いも
中国の「沖縄は先住民族」との発言以来、尖閣領海侵犯など中国海警船が連日徘徊し、緊張感が高まっている。アメリカは領有権の存在は当事者で解決するようにと、突き放した態度だ。では、アメリカが占領していた時の尖閣に対する認識はどのようなものだったか、検証していく。
尖閣諸島について、アメリカが具体的に支配範囲として行動した事を示すのは、1947年から1950年にかけて実施された沖縄諸島の測量と地図の作成である。
「尖閣諸島の測量は米海軍の測量船で行われた」とする証言が残っている。米海軍が作成した尖閣の地図は、沖縄県立図書館郷土資料室が保管。地図には、魚釣島と北小島、南小島の三島が描かれている。
興味深いことには、島ついて「SENKAKU-GUNTO OKINAWA-KEN YAEYAMA-GUN ISHIGAKI-MATI」(尖閣群島沖縄県八重山郡石垣町)と、沖縄県を使用していることである。
占領初期の米軍による尖閣諸島を含む地図の作成は、尖閣諸島が自明のこととして沖縄の範囲に入ると、米軍が認識していた事を物語っているといえるだろう。
1955年3月2日に尖閣諸島付近で操業していた沖縄の漁船第3清徳丸が、青天白日旗(中華民国旗)を掲げた不審船2隻に銃撃され2名が射殺され4人が行方不明となる事件が発生した。
事件に対して比嘉秀平琉球政府行政主席が米側に面会を求め緊急連絡会議を開いた。ジョンソン首席民政官は「事件のおこった尖閣海域にアメリカ海軍及び空軍が出動して海空からの調査をすすめているので、詳報が分かり次第連絡する。琉球政府から調査団を派遣する必要はない」と述べて、事件解決に米軍が単独で当たることを表明。結局この事件は迷宮入りとなった。
尖閣諸島の米軍による利用は、1955年から久場島(空軍、海軍)、翌年以降は大正島(海軍)を各々砲撃演習用の軍用地として使用した。久場島については民有地ということもあり、アメリカ民政府は、所有者の古賀善次と軍用地の賃貸借契約を締結した。
軍用地使用料として年額5763ドル92セントを支払い、1963年からは1万576ドルに改定増額された。沖縄の住民である古賀の久場島所有の正統性を認めて借地料を支払っていたことは、米側の尖閣への姿勢を示すものであろう。
なお、もう一つの射爆場となっている大正島については、日本政府所有の為、借地料は支払われていない。
取材・文/照屋健吉 内外タイムス