悠仁さまが行われる日は来るのか…皇族の「国会ご傍聴」前回から40年

「朕、帝国憲法第七条ニ依リ、衆議院ノ解散ヲ命ス」

今からおよそ90年前の昭和11(1936)年1月21日午後3時11分、解散詔書を読み上げる衆議院議長・浜田国松の声が、衆院本会議場に響き渡った。約1カ月後には二・二六事件に遭難することになる岡田啓介首相のもとで、第19回総選挙に突入したのである。

この歴史的瞬間、議場内の貴賓席には昭和天皇の次弟・高松宮宣仁親王のお姿もあった。政界の大きな動きに際して、議事傍聴のためにお出ましになったのだ。

「御傍聴の高松宮殿下も御起立になるし議員、閣僚その他全員起立、表敬裡に詔勅は奉読せられ、一瞬にして諸君は『前代議士』に還元した、還元の瞬間、万歳のトキの声が揚つた」――『拓務評論』第8巻2月号(拓務評論社、昭和11年)4頁。

このように憲政が敷かれて以来、皇族方はしばしば議事傍聴のために国会を訪問なさってきた。高市首相による衆院解散を受けて、にわかに国政全般への関心が高まる中、ご傍聴の歴史を振り返りたい。

頻繁に傍聴なさっていた近代の皇族

大日本帝国憲法下の皇族方(※皇族に准ずるとされた旧韓国皇室の方々「王公族」を含む)は、議事傍聴に非常にご熱心であった。現在の国会議事堂が竣工した昭和11年11月以降に限定しても、以下のように多くの例がある。

・昭和13(1938)年2月15日:李鍵公【衆議院】
・同月22日:竹田宮恒徳王【衆】
・昭和14(1939)年3月2日:閑院宮春仁王【衆】
・同月4日:北白川宮永久王【衆】
・昭和15(1940)年2月29日:朝香宮孚彦王【衆】
・昭和16(1941)年2月4日:李グウ公【衆】
・昭和17(1942)年1月21日:三笠宮崇仁親王【貴族院】
・同年2月3日:三笠宮崇仁親王【衆】
・同年5月27日:賀陽宮邦寿王【衆】
・昭和19(1944)年9月7日:賀陽宮邦寿王【衆】
・昭和20(1945)年9月5日:賀陽宮邦寿王、竹田宮恒徳王【衆】
・同年11月28日:賀陽宮邦寿王、東久邇宮盛厚王、竹田宮恒徳王【衆】
・昭和21(1946)年12月14日:三笠宮崇仁親王【衆】

このように数多の例があればこそだろう、敗戦翌年の昭和21年12月5日、衆院議員・北浦圭太郎(日本自由党)が本会議場でこう演説している。

「われわれは昭和憲法の発布を一新紀元といたしまして、奧深き宮廷生活から陛下や殿下を解放し奉つて、陛下や殿下がお供も連れないで銀座街頭もお歩きになり、或はまた皇太子殿下や内親王様方は、この議場へしばしば御臨御遊ばされまして、熱心なる同僚議員の国政審議を御見学遊ばされる。これをお待ち申し上げるのであります」

将来即位なさる方のみならず、皇位継承資格をお持ちでない内親王方にもぜひともご傍聴いただきたい――。

そんな演説に議員たちは万雷の拍手をもって応えた。彼らはみな、戦後いわゆる「菊のカーテン」から解き放たれた皇室の方々が、従来にも増して国会にお出ましになることを心から期待していたに違いない。

最後のご傍聴から40年

だが、残念なことに日本国憲法下においては、ほとんど行われなくなってしまった。

昭和61(1986)年1月29日、まだ「浩宮さま」と呼ばれていた天皇陛下が衆議院にお出ましになり、議事を傍聴なさった。余談ながらこの際、激しいヤジが飛ぶ事態となったために、議院運営委員長・綿貫民輔が「ヤジ将軍がいます」とご説明申し上げ、陛下が思わず苦笑されるという一幕もあったそうだ。

陛下は当時、「現在、日本が直面している内政、外交両面におけるさまざまな問題の議論をその場で見聞し、多くのことを学び、意義深い体験であったと思います」とご感想を述べられている。

事実、皇室の方々にとって議事傍聴は、社会勉強のための絶好の機会となりうるものだと思うのだが、これまでに次の三回のみしかないのが実情である。

・昭和28(1953)年2月2日、皇太子明仁親王【参議院】
・昭和61(1986)年1月29日、浩宮徳仁親王【衆】
・同月30日、浩宮徳仁親王【参】

昭和61年のものについては、不公平にならないように衆参両院に足を運ばれただけだと思われるので、実質的には全二回といっても差し支えないだろう。ここで指摘したいのは、どう数えるにせよ、令和8(2026)年1月30日には最後のご傍聴からちょうど40年になるということだ。

約30年にわたる平成は、憲政史上初めての「ご傍聴が一度もない時代」として幕を閉じてしまったわけだが、この令和の御代はどうなるのだろうか。

悠仁さまが傍聴なさる日は来るのか

政治学者の櫻田淳氏(東洋学園大学教授)は、わが国は今なお立憲君主国であると断言したうえで、戦後世代が台頭してきた平成以降の日本社会についてこう述べている。

「立憲君主国家を構成する制度的な要件としての『臣』が、事実上、十全な機能を果していない」――『奔流の中の国家』(勁草書房、平成14年)16頁。

国会議員には「臣」として、君主の尊厳性と永続性とを担保する制度上の仕組みを整える責任があるはずだが、実際には皇室制度の中身に責任を持つという意識が欠如している――。櫻田氏の主張をかいつまんで紹介すると、このような内容である。

皇室典範改正をめぐる永田町の動きの鈍さをみると、その意見に同意せざるをえないところだが、ご傍聴がきわめて珍しい出来事になってしまったことも、もしかすると皇室に対する政治家たちの責任感の薄さに影響を及ぼしているのかもしれない。一般論として、皇室は政治と一定の距離を保つべきだといわれるけれども、そのような配慮のあまり今はむしろ距離を取りすぎているのではないか。

衆参両院には天皇が傍聴なさるための御座所も設けられているが、憲政史上、天皇のご傍聴は一度もない。皇室が「国権の最高機関」たる国会に敬意をお示しになることは民主主義のためにも好ましいことであるから、大相撲などへの行幸啓と同じように「天覧国会」がしばしばあってもよいだろう。

明治憲法下とは異なり、現憲法下では天皇家の直系男子しかお見えになったことがない。このことは、未来の天皇と目される悠仁親王殿下にとってすら低くない心理的ハードルとなりそうだが、さらに傍系の傍系皇族の方々にもぜひとも国会においでいただきたいものである。

文/中原鼎 内外タイムス

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